ラグビーが15人で行なうスポーツです。
2019年ワールドカップ日本開催から、瞬く間に人気が広がりスター選手が誕生しました。
現在の日本代表も素晴らしいメンバーが揃っていましたが、歴代の日本代表も決して引けをとりません。
これから各ポジション別で「日本人歴代最高の選手5人」を紹介していきます。
今回は「ウイング」です。
【フォワード】
■ 日本を代表する歴代最高のプロップ5人はこちら
■ 日本を代表する歴代最高のフッカー5人はこちら
■ 日本を代表する歴代最高のロック5人はこちら
■ 日本を代表する歴代最高のフランカー5人はこちら
■ 日本を代表する歴代最高のナンバーエイト5人はこちら
【バックス】
◆ 日本を代表する歴代最高のスクラムハーフ5人はこちら
◆ 日本を代表する歴代最高のスタンドオフ5人はこちら
◆ 日本を代表する歴代最高のセンター5人はこちら
◆ 日本を代表する歴代最高のフルバック5人はこちら
日本を代表する歴代最高のウイング5人
【ウイングとは?】
「ウィング(翼)」の名前の通り、ピッチの両端に位置するポジションです。
みんながパスを繋ぎ、最後にトライを獲る役目です。
スピードと、相手を抜き去るステップスキルが求められます。
時にはキックしたボールをキャッチをしてそのまま走ったりするため、キャッチングスキルをかなり重要です。
まさに点取り屋、スピードスターという異名が似合うポジションです。
ラグビーワールドカップ2019年 日本大会記念貨幣 一万円金貨幣プルーフ貨幣セット 平成31年(2019) 価格:297,000円 |
小野澤 宏時
小野澤 宏時(おのざわ ひろとき)
1978年3月29日生まれ
静岡県出身
中央大学
代表キャップ数:81
2017年 引退
2000年にサントリーに入団し、ポイントゲッターとして存在感を表しました。
俊足と独特のステップでトライを量産。
2001年にはすぐに日本代表入りを果たし、世界の強豪相手に活躍しました。
その後、ラグビーワールドカップでは2003、2007、2011年にメンバー入りし、トライ数を伸ばし続けました。
2012年には日本トップリーグで、史上初の通算100トライという大記録を達成。
さらに2014年には、世界を相手に通算55トライという、世界歴代4位(当時)という成績を残しました。
キャップ数も日本歴代2位の81。
日本トップリーグのベスト15にも8度も選出されました。
ラグビーの醍醐味であるトライを日本史上一番量産した、まさに最高のウイングの一人です。
坂田 好弘
坂田 好弘 (さかた よしひろ)
1942年9月26日生まれ
大阪府出身
同社大学
代表キャップ数:16
1975年 引退
ラグビー世界一の国ニュージーランドにして「世界のサカタ」と言わしめた、まさに日本ラグビー界のレジェンド。
当時日本のラグビーは、世界とは比較にならないほど弱小でしたが、この坂田さんが世界に日本の存在を示したと言っても過言ではありません。
1968年に日本代表として、オールブラックス・ジュニア(23歳以下代表)と戦い、4トライを決めるなど大活躍。
その後単身でニュージーランドへ行き、日本人初のニュージーランド州代表選手権1部リーグの選手になるなど、東洋人が世界一の国でも活躍できることを証明しました。
キャップ数こそ16と少ないが、当時世界戦が少なかったことを考えれば十分に凄い数字です。
2007年にはラグビーワールドカップ開会式に「ラグビーレジェンド」の一員として招待され、2012年には、ワールドラグビーから日本人初のワールドラグビー殿堂を表彰されました。
まさに日本プロ野球で言う、王さん長嶋さんのような存在です。
この人がいなければ、日本が世界のラグビー業界から注目されることもなかったと思います。
「空飛ぶウイング」の異名どおり、世界に日本ラグビーを広めた伝説の偉人でありスーパースターです。
福岡 堅樹
福岡 堅樹(ふくおか けんき)
1992年9月7日生まれ
福岡県出身
筑波大学
代表キャップ数:38
2021年 引退
医学部を目指しながら、ラグビーでも結果を残した異色のスタープレイヤーです。
大学2年生の時に、全国大学選手権で筑波大学初の準優勝の立役者となり、一躍全国区になりました。
翌年、日本代表監督の目に留まり代表に初選出。
2015年ワールドカップにも出場しました。
2019年日本開催のワールドカップでは、ド派手な活躍をみせ、大会公式ウェブサイトが選ぶ
「別格だったマグニフィセント・セブン(7名)」にも選ばれるなど、世界トッププレイヤーの仲間入りを果たしました。
自身のもう一つの夢である「医者」を目指し、日本ワールドカップを最後に代表を引退。
そして2020年度の社会人リーグで現役を引退。
ラストイヤーのシーズンでは、日本ラグビーフットボール選手権大会をプレーオフの末、見事に初優勝。
さらに年間MVP、ベストフィフティーンに輝くなど、最高の栄冠を獲得し、有終の美を飾りました。
本来は、選手としてまだまだ見ていたかった最高のウイングの一人です。
増保 輝則
増保 輝則(ますほ てるのり)
1972年1月26日生まれ
東京都出身
早稲田大学
代表キャップ数:47
2004年 引退
高校時代には高校日本代表の主将として世代を牽引し、早稲田大学入学後は1年生からレギュラーとして活躍しました。
その後、神戸製鋼へ加入し、1年目から切れ味抜群のランでトライを量産。
1999、2000年には、神戸製鋼の主将として日本選手権を二連覇に導くなど、プレーだけでなくリーダーシップも発揮しました。
日本代表では、当時最年少の19歳3か月で選出され、以降永きに渡り日本の正ウイングとして活躍しました。
第2,3,4回のワールドカップも出場しトライを量産。
日本代表として国際試合トライ数は、歴代4位の記録を持っています。
引退後も2019年ワールドカップ(日本開催)では、アンバサダーを務めるなど、日本ラグビー界を支えています。
今の強い日本ラグビーの礎を築いた名ウイングプレイヤーです。
吉田 義人
吉田 義人(よしだ よしひと)
1969年2月16日生まれ
秋田県出身
明治大学
代表キャップ数:30
2004年 引退
高校時代に全国大会優勝など、既に天才高校生として名を馳せており、明治大学へ入学。
1年生からレギュラーとして活躍しました。
部長となった1990年には大学日本一に輝くなど、明治の黄金時代を創りました。
「明治大学史上最高のキャプテン」とも言われています。
日本代表も19歳から選出されトライを量産。
スピードと力強さ、そしてハイスキルなステップと、全てを兼ね備えたまさに「理想のウイング」。
第二回ワールドカップで日本が初勝利した試合でも、2トライをあげる活躍を見せました。
またニュージーランドvs世界選抜(テストマッチ)で唯一の日本人として選出され、ニュージーランド代表と初めて対戦した日本人でもあります。
高校時代から日本代表まで、数々の伝説を残した最高のウイングの一人です。
いかがでしたか??
5人全員がその時代のスター選手として、得点を量産してくれました。
そして日本ラグビーを大いに盛り上げてくれていました。
将来、このスター達を超えるウイングが出てきてくれることを、楽しみにしています。
これからも各ポジションの名選手を紹介していきますので、是非そちらも見てください!
これからもラグビーを観戦して、応援し続けていきましょう!!
コメント