【偉人紹介】ゴルフ界の歴代スーパースター10選(日本人編)

スポーツ

大人のスポーツの代表格と言えばゴルフ。
品格があり若い方から年配の方まで、幅広い層が長く楽しめることで全世界で愛されています。
日本でも時々ゴルフの速報が流れ、世界を相手に頑張っている日本人プロが脚光を浴びています。
昨年には、日本人初のメジャータイトルを獲得した渋野 日向子選手が、一躍トッププレーヤーの仲間入りを果たしました。
今回は、歴代の日本人プロゴルファーのスーパースターたちを10人に厳選してご紹介します。
男女を併せてしまうと、とんでもない人数になるので、今回は男子だけにとどめます。

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ゴルフ界の歴代スーパースター

ちなみゴルフの世界大会で、最も名誉のある大会は以下の4つです。
【4大メジャー選手権】
マスターズ
全米オープン
全英オープン
PGA(全米プロ)

※省略あり
ちなみに優勝金額も1億8000万円~2億5000万円と破格です!!

それではスーパースターを紹介していきましょう。(50音順)
※あくまで私の独断と偏見での選出となります。

青木 功

青木 功(あおき いさお)
1942年8月31日生まれ
千葉県出身

おそらくゴルフ界で、一番の知名度を誇っていると言っても過言ではありません。
今ではメジャー大会の解説などでは、ほぼ出演しているのがこの青木プロです。
まさに野球でいうところの王さん、長嶋の立ち位置だと思ってください。
まだ日本のプロゴルフが世界と戦えるレベルにないときに、一人飛び抜けた実力を誇り、唯一世界を相手に活躍したスーパースターです。
しかしプロになってから、国内大会で優勝するまでに6年かかりました。
(優勝するだけでも凄いことです)
そこからの青木プロの活躍は凄まじいものがあります。
国内では何度も賞金王に輝き、遂に舞台は世界へ。
1980年には、なんとメジャータイトル「全米オープン」で2位となったのです。
2020年現在でも、日本人最高順位タイの記録となっています。
日本ゴルフファンの夢である、メジャー制覇に最も近づいた方なのです。
その後、全世界の名だたる大会で優勝を獲得していきます。
そして2004年には、日本人男性では初の世界ゴルフの殿堂入りを果たしました。
(2020年現在でも、男子ではまだ2名しかいません)
現在では解説でもおなじみで、独特の言い回しや喋り方から、とんねるずの貴さんがマネしていることでも有名です。

伊澤 利光

伊澤 利光(いざわ としみつ)
1968年3月2日生まれ
神奈川県出身

アメリカでのゴルフ修行後、尾崎将司に教えを請い、めきめきと実力をあげ、1995年に国内ツアー初優勝を飾りました。
その後も順調にキャリアを重ね、2001年には初の賞金王に輝きました。
当時では史上最高額の約2億1700万円を獲得するという、恐るべき数字をたたき出しました。
(それだけ優勝したということ)
そして同年には、またしても偉業を達成します。
なんと世界メジャータイトルの「マスターズ」で日本人史上最高の4位に入りました。
師匠である尾崎将司の最高順位8位を上回ったのである。
そして次の年の2002年では、世界ゴルフ選手権「EMCワールドカップ」を日本人初の優勝を飾りました。(ペア丸山)
好不調の波が激しく、予選落ちやシード権失陥などもある選手だが、ツボにハマったときは恐るべき力を発揮する、観る者を常に楽しませるスーパースターでした。

石川 遼

石川 遼(いしかわ りょう)
1991年9月17日生まれ
埼玉県出身

ハニカミ王子として、一躍時の人となった石川 遼プロ。
彼がなぜこんなにも世間を騒がせたかというと、なんと高校生でプロの大会で優勝してしまったからなんです。
(アマチュア枠から出場)
史上最年少の16歳で優勝し、全国のゴルフファンに衝撃を与えました。
その一年後にはプロに転向し、同年プロ転向後ツアー初優勝を飾るなど、更なる快進撃を続けました。
さらい同年、翌年と2年連続で賞金1億円越えと、異例のスピードでスターダムへ駆けのぼりました。
まだ現在もバリバリの現役で活躍しており、往年のスーパースターに比べるとトータル勝利数などは少ないですが、彼が日本ゴルフ界に与えた経済的効果や話題性を評価させていただきました。
プロ選手たちは、全員が素晴らしい技術を持ち、毎度感動を与えるプレーをします。
その中でも、ゴルフファンのみならず、世の中が動くほどの話題を提供できる選手は本当に限られています。
彼が出てきたおかげで、多くのお金がゴルフ界に流れ、競技人口や観覧者数が増えた事でしょう。
間違いなくスーパースターの一人だと思います。

尾崎 将司

尾崎 将司(おざき まさし)
1947年1月24日生まれ
徳島県出身

スポーツに興味がある人であれば一度は聞いたことがあるニックネーム「ジャンボ尾崎」
それがこの尾崎 将司プロです。
彼の凄いところは、なんと元プロ野球選手なのです!!
西武ライオンズのピッチャーとして、何度も1軍でも登板しております。
それまで野球一筋の人生から一変、引退しゴルフの世界へ飛び込みました。
弱冠20歳で野球に見切りをつけ、研修期間2年でゴルフのプロテストに合格。
そしてわずか1年後には日本ツアー初優勝を飾ります。
その後いくつものツアーで優勝し、さらに1973年には世界4大メジャーの一つ「マスターズ」で東洋人初の8位に入賞する快挙を達成しました。
その後も全英オープン10位、全米オープン6位など世界トップクラスの選手へと成長していきます。
日本史上最多の賞金王獲得、歴代最多の世界プロツアー優勝数など数々の金字塔を打ち立て、日本人史上2人目の世界ゴルフに殿堂入りしました。
人生を捧げた野球をわずか20歳で見切りをつけ、違う世界に飛び込む。
こんな勇気のある人がいるのでしょうか。
さらにその移った世界で、歴史に名を刻むほどのスーパースターになる…。
一旦どれほどの努力を積み重ねたのでしょう。
異色の経歴、実績的にも圧倒的なスーパースターです。

片山 晋呉

片山 晋呉(かたやま しんご)
1973年1月31日生まれ
茨城県出身

2000年代に圧倒的な活躍をした選手と言ったら、この片山 晋呉プロを上げる人も多いのでないでしょうか。
1995年にプロの世界に足を踏み入れ、98年にツアー初優勝を飾りました。
そこから確実に実績を重ね、2000年には初の賞金王を獲得しました。
2001年には世界4大メジャー「PGA(全米プロ)」で日本人最高の4位入賞を果たしました。
さらに03、04年と2年連続で賞金王を獲得するなど、無双状態となります。
2000年代後半では、怪我に悩まされ何度も欠場することになりますが、2009年には世界4大メジャー「マスターズ」で、4位に入賞するなど劇的な復活を遂げています。
2000~2009年では10年連続で賞金1億円越えと、とんでもない記録も持っています。
インタビューや雑誌を拝見すると、とにかく練習量が凄かったみたいですね。
「99%の準備をして、あとは1%の運。僕は弱いから。そこまで思ってやらないと、強い人にやられてしまうから」
本当に努力して、結果を出している人が言うと、とても重く深く聴こえますね。

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倉本 昌弘

倉本 昌弘(くらもと まさひろ)
1955年9月9日生まれ
広島県出身

小さな身体からは想像もできないほどのパワフルな一打を放ち、強烈なインパクトを残した倉本 昌弘プロ。
スポーツ選手で身長164cmは、余りにもハンディキャップがあると思いきや、まったくそれを感じさせないプレーで数々の伝説の残しました。
まずプロテスト合格後の初戦で、いきなり優勝を果たします。
そしてデビューから4戦中3戦を優勝を飾り、倉本旋風が巻き起こりました。
そしてデビュー初年度から賞金総額第2位となり、いきなりトッププロの仲間入りをしました。
その後、尾崎将司プロ、青木功プロ、中嶋常幸プロなどと互角に渡り合うことになります。
そして1982年には世界4大メジャー「全英オープン」で当時日本人歴代最高順位である4位に入賞しました。
しかし倉本プロの凄いところは成績だけではありません。
より良いゴルフ業界の為に、組織や制度を作り上げていきました。
日本ゴルフツアー機構の設立などに尽力し、8年も会長職を担いました。(歴代最長)
プレーだけでなくゴルフ界全体を考えたら、プレーと改革で圧倒的存在感を与えた、間違えなくスーパースターだと思います。

杉原 輝雄

杉原 輝雄(すぎはら てるお)
1937年6月14日生まれ
大阪府出身

現役生活50年とまさに半世紀をゴルフ界に捧げた通称「日本プロゴルフ界のドン」の杉原 輝雄プロ。
優勝回数も尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位と驚異的な記録を残しています。
プロの選手の中ではかなり小柄で身長162cmながら、圧倒的な練習量でそれを補っていたといいます。
パワーでは他のプロに劣るも、正確無比なショットで「勝負はスコアで決まる」という言葉通り、勝利を積み上げていきました。
74歳でその人生を終えましたが、生涯現役を貫きまさに「ゴルフのために生まれてきた偉人」と言えます。
亡くなる直前には、スポーツ功労者文部科学大臣顕彰を受賞、またその後の2014年には日本プロゴルフ殿堂入りも果たしました。
誰もが認める日本を代表するゴルフ界のスーパースターだと思います。

中嶋 常幸

中嶋 常幸(なかじま つねゆき)
1954年10月20日生まれ
群馬県出身

青木功プロ、尾崎将司プロと並び「AON時代」を築いた中嶋 常幸プロ。
1975年にプロ入りを果たし、わずか1年で日本ツアー初優勝を飾るなど、デビューから圧倒的存在を放っていました。
その後、数々のタイトルや頂上決戦の舞台に幾度となく参加し、時代の中心人物まで成り上りました。
1985年には当時史上初めての年間1億円の賞金を稼ぎ賞金王に輝くと、その翌年から3年連続で世界4大メジャーで10位以内に入賞するなど、世界トッププレイヤーに成長。
最高順位は88年のPGA(全米プロ)で3位入賞である。
ちなみ通算でPGA(全米プロ)とマスターズでは2回ずつ10位以内の入賞を手にしている。
日本でも通算4度の賞金王の獲得、2019年には日本プロゴルフ殿堂入りを果たすなど、まさに一時代を築き日本ゴルフ界の大きな礎の一人と言えるでしょう。
AON時代と言われるほど、当時は本当に男子ゴルフの人気も高く、後の名プレイヤー達にとって憧れの存在でした。
誰もが認めるスーパースターですね。

松山 英樹

松山 英樹(まつやま ひでき)
1992年2月25日生まれ
愛媛県出身

2020年の現在、まさに日本のトップにいる松山 英樹プロ。
近年の活躍は目覚ましく、数々の世界大会でも結果を残しています。
2011年に史上3人目のアマチュアでの日本ツアー優勝を獲得し、翌年には世界アマチュアゴルフのランキングで日本人初の1位を獲得しました。
プロ転向後は、転向2戦目で早くも優勝を飾ると、同年には世界4大メジャー「全英オープン」でなんと6位入賞を果たしました。
その後も、4大メジャーで合計7度の10位以内の入賞を記録。
最高順位は、17年の全米オープンにて2位。
日本人初のメジャー制覇まで、本当にあと一歩のところまで迫りました。
武器は、何といってもショットの正確性です。
特に第2打目のショットには、定評があり数々の難所からピンに寄せてきました。
年齢的にもまだまだ若くこれからも数々をタイトル獲得していくことでしょう。
そして今最も世界4大メジャー制覇に近い日本人として、必ずやその夢を達成してくれることでしょう。
現段階でも十分スーパースターです。

宮本 留吉

宮本 留吉(みやもと とめきち)
1902年9月25日生まれ
兵庫県出身

今から約100年前のまだ日本ゴルフ界が、ちゃんとした形になっていなかった頃のスーパースターを紹介します。
まさに日本ゴルフ界の第一人者です。
日本最古のプロトーナメントである「日本プロ」の第1回大会で優勝したのがこの宮本プロです。
その後、日本人プロ初の海外の大会に参加しました。
そしてなんと世界4大メジャーの全米オープンに、日本人で初めて参加したのもこの方なのです。
明治、大正、昭和と生き抜き、日本ゴルフの発展に大きく貢献し、後に日本プロゴルフ殿堂入り第一号のプロとなりました。
彼ほど、日本人が世界の舞台で活躍する姿を喜んでいる人は、いないのではないでしょうか。
日本プロゴルフ界の記念すべき一人目のスーパースターですね。

以上10名を選出させてもらいました。
もちろん長い日本ゴルフ界には、沢山のスーパースターが存在します。
戦歴、影響力、インパクトなど、人それぞれ想いのある方がいると思います。
それだけ日本のゴルフは世間に認知され、人々を魅了するスポーツになったということです。
これからも日本ゴルフ界の発展のため、みんなでプロゴルファーを応援していきましょう。

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【ゴルフ界の歴代スーパースター10選(日本人編)】

  1. 青木 功
  2. 伊澤 利光
  3. 石川 遼
  4. 尾崎 将司
  5. 片山 晋呉
  6. 倉本 昌弘
  7. 杉原 輝雄
  8. 中嶋 常幸
  9. 松山 英樹
  10. 宮本 留吉

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