【日本人限定】ラグビー界の歴代スーパースター10選

スポーツ

【2023年5月更新】
2019年に日本でワールドカップを開催し、世界中を沸かせたラグビー。
今までまったくラグビーを知らなかった人も、日本のワールドカップを機に興味を持った方も多いのではないでしょうか?
遡れば2015年のワールドカップ南アフリカ大会で世界に衝撃を与え、その頃から日本でラグビーがメジャーになってきました。
しかし、その前のラグビーの歴史や有名選手などは、ほとんどの方が知りません。
今回は今のラグビー人気の礎を気付いた、歴代の有名選手を10人に絞って紹介していきたいと思います。

ポジション別歴代最高の日本人選手
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ラグビー界の歴代スーパースター

ちなみに今回は日本人に絞って紹介していきます。(50音順)

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大野 均

大野 均(おおの ひとし)
福島県出身
1978年5月6日生まれ
2020年 引退
ポジション:ロック

point

身長192cmと体格に恵まれ、これまで多くの世界大会で活躍しました。
2001年から東芝でプレーをし、2004年には日本代表として存分に存在感を発揮。
2007年からはラグビーワールドカップにも日本代表として出場。
その後、2007、2011、2015年と長きに渡り、ワールドカップを戦い抜きました。
彼の歴史的記録は、なんといっても代表キャップ数98。
※キャップ=日本代表として公式戦に出場した試合数
これはホントに偉大な記録です。歴代1位の記録として未だ破られていません。
ラグビーというケガと隣り合わせの競技で、しかもロックというチームでも1,2を争う大型選手が配置されるポジションで、日本代表の試合に出続けることは並みの才能と努力ではありません。
この記録を塗り替えられる選手が果たしてこれから出てくるのでしょうか?
2020年5月に惜しまれながら引退しましたが、その栄光は色褪せることはないでしょう。
ちなみに日本リーグのベスト15には、9回も選出されています。
※1ポジション一人なので、これもまたとてつもない記録です。
※ベスト15:その年に最も活躍した15名に贈られるMVPのようなもの。
しかし本当に凄いところは、大学からラグビーを始めたという事実かもしれませんね。

大畑 大介

大畑 大介(おおはた だいすけ)
大阪府出身
1975年11月11日生まれ
2011年 引退
ポジション:ウィング、センター

point

1998年から当時日本一のチーム神戸製鋼へ入り、エースとして活躍。
翌年には日本代表を果たし、数々の世界大会で活躍。
2003年には日本代表のキャプテンも務める。
ラグビーワールドカップでは1999、2003年でなんと全試合フル出場するなど、
全幅の信頼を寄せられていた。
個人では海外へ飛び出し、ラグビーの強豪国であるオーストラリア、フランスのチームに入り活躍する。
キャップ数も堂々の58。
現役後半では怪我に悩まされ、2011年に引退。
しかしその後もラグビーの普及に大きく貢献し、2016年にはワールドラグビーから日本人2人目のワールドラグビー殿堂を表彰されました。
まさに今の日本のラグビーを表からも裏からも支えてきた偉人です。


小野澤 宏時

小野澤 宏時(おのざわ ひろとき)
静岡県出身
1978年3月29日生まれ
2017年 引退
ポジション:ウィング

point

2000年にサントリーに入団し、ポイントゲッターとして活躍。
俊足と独特のステップでトライを量産する。
2001年にはすぐに日本代表入りを果たし、世界の強豪相手にもトライを量産する。
その後、ラグビーワールドカップでは2003、2007、2011年にメンバー入りし、トライ数を伸ばし続ける。
2012年には日本トップリーグで、史上初の通算100トライという大記録を達成しました。
さらに2014年には世界を相手に通算55トライ(テストマッチ)という、世界歴代4位(当時)という成績を残しました。
キャップ数も大野選手に続く日本歴代2位の81。
日本トップリーグのベスト15にも8度も選出されました。
ラグビーの醍醐味であるトライを日本史上一番量産この男は、日本ラグビーを語る上で欠かせない存在でしょう。

五郎丸 歩

五郎丸 歩(ごろうまる あゆむ)
福岡県出身
1986年3月1日生まれ
2021年 引退
ポジション:フルバック

point

おそらくラグビープレイヤーの中で、トップ3に入るほどの知名度を誇る五郎丸。
その名前も特徴的で、プレイも超一流。
大学時代には、当時大学日本一の早稲田大学ラグビー部で、1年生でレギュラー入りするなど、既にラグビー業界から注目を集めていた。
なんと2005年には大学2年生で日本代表に選出。当時から怪物ぶりを発揮していました。
そして2008年にヤマハへ入団し、チームのキープレイヤーとして活躍。
そして2015年の全世界に衝撃を与えたラグビーワールドカップ南アフリカ大会。
世界の強豪相手に1大会58得点と恐るべき数字をたたき出し、うち2試合でマン・オブ・ザ・マッチに選出されました。
さらに大会ベスト15にも、日本人初の選出を果たしました。
キックする時のルーティンが話題となり、多くの人がマネをしたのは記憶に新しいでしょう。
まさに近代ラグビーの人気の火つけ役として、選ばして頂きました。
ちなみに実は2つ上のお兄さんも日本トップリーグで活躍するほどの有名選手です。
「五郎丸」という苗字が業界に二人もいるなんて、なんとも不思議ですね。
しかも五郎丸が苗字ですからね…。

坂田 好弘

坂田 好弘 (さかた よしひろ)
大阪府出身
1942年9月26日生まれ
1975年 引退
ポジション:ウイング

point

ラグビー世界一の国ニュージーランドにして「世界のサカタ」と言わしめた、まさに日本ラグビー界のレジェンド。
当時日本のラグビーは、世界とは比較にならないほど弱小でしたが、この坂田さんが世界に日本の存在を示したと言っても過言ではありません。
1968年に日本代表として、オールブラックス・ジュニア(23歳以下代表)と戦い、4トライを決めるなど大活躍。
その後単身でニュージーランドへ行き、日本人初のニュージーランド州代表選手権1部リーグの選手になるなど、東洋人が世界一の国でも活躍できることを証明しました。
キャップ数こそ16と少ないが、当時世界戦が少なかったことを考えれば十分に凄い数字です。
2007年にはラグビーワールドカップ開会式に「ラグビーレジェンド」の一員として招待され、2012年には、ワールドラグビーから日本人初のワールドラグビー殿堂を表彰されました。
まさに日本プロ野球で言う、王さん長嶋さんのような存在ですね。
この人がいなければ、日本が世界のラグビー業界から注目されることもなかったと思います。
「空飛ぶウイング」の異名どおり、世界に日本ラグビーを広めた伝説の偉人でありスーパースターです。

田中 史朗

田中 史朗(たなか ふみあき)
京都府出身
1985年1月3日生まれ
2021年現在 現役
ポジション:スクラムハーフ

point

2007年にパナソニック(当時三洋電機)に入団。
屈強な男たちがぶつかり合う「スポーツで一番危険」とも言われるラグビーに、166cmの小柄な身体で挑んでいる姿は本当に驚きです。
2007年~2009年には日本選手権で三連覇に貢献するなど活躍。
そして2008年には日本代表のスクラムハーフに選出され、世界を相手に堂々のプレーをみせます。
そして2011、2015、2019年にはラグビーワールドカップにも出場。
2012年には世界最高峰のラグビーリーグ「スーパーラグビー」のチームに、日本人で初めて入団することになりました。
プレーを観ると驚愕しますが、小柄な田中選手が、屈強な外国人相手に思いっ切りぶつかっていきます。
何度も吹っ飛ばされる光景も見られますが、それでも前に向かってぶつかっていく姿は、日本人に勇気を与えてくれます。
日本代表としても長く在籍し、キャップ数も堂々の75。
おそらく今後スクラムハーフで、田中選手よりインパクトを与えられる選手は出てくるのでしょうか。
個人的には間違いなく、日本史上最高のスクラムハーフだと思います。

林 敏之

林 敏之(はやし としゆき)
徳島県出身
1960年2月8日生まれ
1996年 引退
ポジション:ロック

point

大学時代から日本代表に選出されるなど、まさに天才的スーパープレーヤー。
神戸製鋼へ入団後は、日本選手権の7連覇に大きく貢献。
1987年には日本代表のキャプテンとして、第1回ラグビーワールドカップにも出場を果たす。
30歳の頃には、ラグビー発祥の地であり、強豪のオックスフォードへ留学し活躍。
なんと日本人では後にも先にもいない、オックスフォード歴代ベストメンバーにも選ばれました。
(イギリス人以外では林選手のみ)

世界戦が少ない時代にも関わらず、代表キャップ数も堂々の38。
正真正銘のワールドクラスのフォワードと言われ「世界に最も通用した日本人選手」とも言われている。
日本のテレビやネットでラグビーが観られる前に、こんなスーパースターがいたということです。
実は野球やサッカーよりも先に、ラグビーのほうが世界に通用する選手が出ていたのは驚きですね。
まだまだ日本が世界の強豪とは言えない時代に、第1回ワールドカップから支えてきたキャプテンは、間違いなくスーパースターです。

平尾 誠二

平尾 誠二(ひらお せいじ)
京都府出身
1963年1月21日生まれ
1997年 引退
ポジション:スタンドオフ、センター

point

大学時代に当時史上初の大学選手権3連覇を達成し、その名を全国に轟かせる。
そして史上最年少で日本代表に選出されるなど、まさにスーパースターの道を歩み始める。
1986年には日本一のチーム神戸製鋼へ入団し、1988年からはキャプテンも務めました。
キャプテンになるや否や、1989年から日本選手権を7連覇するという偉業も達成。
1991年には日本代表のキャプテンとなり、世界と戦い続けました。
日本代表キャップは35と意外と少なく感じるが、当時の世界戦の少なさを考えると十分と言える。
その後も活躍はとどまらず、これもまた史上最年少で日本代表の監督に就任するのである。
おそらく40代以上のスポーツ好きで、平尾選手を知らない人はいないだろう。
まさにサッカーで言うカズ、野球で言うイチローのような存在と言っても過言ではありません。
「ミスターラグビー」という名の通り、日本ラグビーを背負い世界と戦い、日本全国にラグビーの知名度を上げた張本人と言えます。
唯一残念なところは、短命だったということです。
こんなにも世の中に愛され、必要とされ、ラグビーが世に周知される事を誰よりも望んでいた方が、ワールドカップ日本大会を前に亡くなるという悲劇。
間違いなく日本ラグビーの歴史を作り、世界レベルに発展させたスーパースターの一人です。

松尾 雄治

松尾 雄治 (まつお ゆうじ)
東京都出身
1954年1月20日生まれ
1985年 引退
ポジション:スタンドオフ

point

明治大学時代にポジションを、スクラムハーフからスタンドオフへ変更し躍進。
4年生では明治大学初の日本選手権優勝に導く。
その後、新日鉄釜石へ入団し、日本選手権7連覇に大きく貢献しました。
そして日本代表では不動の司令塔として、長きに渡り代表のスタンドオフの座についていました。
代表キャップ数は24。この時代の24というのは相当なモノです。
平尾選手の前の「元祖ミスターラグビー」として、今もなお日本史上最高のスタンドオフの呼び声も高いです。
怪我によって現役人生は短いものでしたが、プレイで与える衝撃は、凄まじいものがありました。
当時まだ弱小だった日本代表が、強豪国ウエールズと戦った時も、2点差とあと一歩まで迫ったことを考えると、松尾選手が司令塔として如何に試合へ影響を与えていたかが分かります。
間違いなく一時代を築いたスーパースターと言っていいでしょう。

元木 由記雄

元木 由記雄(もとき ゆきお)
大阪府出身
1971年8月27日生まれ
2010年 引退
ポジション:センター

point

明治大学の黄金時代の中心人物。3度の大学選手権優勝に大きく貢献し、4年の時には主将も務める。その後神戸製鋼へ入団。
しかし、日本代表入りはなんと19歳(大学2年生)という早さです。
19歳8か月で試合に出場すると、1991、1995、1999、2003年ラグビーワールドカップを経験。
日本代表のキャプテンも務め、長きに渡り日本ラグビーを引っ張っていきました。
代表キャップ数も当時最高の79。(現在歴代3位)
「鉄人」の異名を持つほどにパワフルで、全治6か月の骨折を、わずか1か月で試合復帰をするなど多くの話題を提供してきました。
2019年のワールドカップ日本大会ではアンバサダーを務めるなど、現日本ラグビーにも欠かせない存在であり、いつか日本代表の監督を期待しているファンも少なくありません。


以上10名となります。
他にもまだまだ沢山の伝説級のスーパースターが存在しますが、この10名は絶対に日本のラグビーにおいて外せない人物だと思っています。
2019年からラグビーが全国で人気となり、国内リーグを盛り上がりを見せる今、コロナ禍が明け試合が再開する頃には、またあの熱い戦いが戻ってきてほしいと、心から願っています。
今後もあらゆるスポーツの偉人、スーパースターを紹介していきますので、お楽しみください。
スポーツは夢と元気を与えてくれます。
みんなで日本のスポーツを応援しましょう。

ポジション別歴代最高の日本人選手

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