【ラグビー】日本を代表する歴代最高のセンター5人

スポーツ

近年、急激に注目度を増したスポーツ「ラグビー」。
今回は、これまで日本のラグビー界を創り上げてきた歴代のスター選手を、
ポジション別に5名ずつ紹介していきます。
この5名はラグビー好き、興味がある人なら必ず知っていて損はない選手達です。
今回は「センター」です。

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日本を代表する歴代最高のセンター5人

お兄ちゃん
お兄ちゃん

【センターとは?】

名前の通り、バックス陣の真ん中で、ウイングへの繋ぎと自らのランを両方が求められるポジションです。
また実は守備でも一番タックルをすることが多く、相当な役割を担っています。
「大きくて速くて強い」を体現できるような、類まれな才能を持ち合わせる必要があります。

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大畑 大介

大畑 大介(おおはた だいすけ)
1975年11月11日生まれ
大阪府出身
京都産業大学
代表キャップ数:58
2011年 引退

日本ラグビー協会より引用

1998年から当時日本一のチーム神戸製鋼へ入り、エースとして活躍。
翌年には日本代表を果たし、数々の世界大会で活躍。
2003年には日本代表のキャプテンも務めました。
ラグビーワールドカップでは1999、2003年でなんと全試合フル出場するなど、
全幅の信頼を寄せられていました。
個人では海外へ飛び出し、ラグビーの強豪国であるオーストラリア、フランスのチームに入りし活躍しました。
キャップ数も堂々の58。
現役後半では怪我に悩まされ、2011年に引退しましたが、その後もラグビーの普及に大きく貢献し、2016年にはワールドラグビーから日本人2人目のワールドラグビー殿堂を表彰されました。
まさに今の日本のラグビーを支えてきた名選手です。

朽木 英次


朽木 英次(くつき えいじ)
1962年12月25日生まれ
福井県出身
日本体育大学
代表キャップ数:30
1996年 引退


福井新聞社より引用

日本体育大学を卒業後、トヨタ自動車へ加入。
ポイントゲッターとして活躍を見せ、2年目にして日本選手権で見事優勝を手にしました。
針の穴を通すような正確なパスと、瞬時に間合いを詰めるタックルを武器に、1985年には日本代表へ選出され、以降不動の右センターとして活躍しました。
1987年第一回、1991年第二回ワールドカップでは、全試合に出場。
そして日本代表のワールドカップ初勝利(第二回大会、対ジンバブエ戦)を収めたメンバーの一人でもあります。
日本代表の礎を築いた名センターです。

立川 理道

立川 理道(たてかわ はるみち)
1989年12月2日生まれ
奈良県出身
天理大学
代表キャップ数:55
2021年現在:現役プレイヤー

4歳からラグビーを始め、天理高校、天理大学と進学。
転機は大学3年生の時、主将を務め35年ぶりの関西大学ラグビー制覇に導きました。
また翌年も同様に優勝し、連覇を達成しました。
さらに全国大学ラグビーでは、関東の強豪大学を次々に倒し決勝へ進出。
決勝では当時絶対王者の帝京大学に、3点差で惜敗したものの、立川選手の注目度が一気に上がりました。
その後、すぐに日本代表に収集されると不動のセンターとして毎試合に出場。
高いゲームメイク力も買われ、時にはスタンドオフでもプレイするほど、マルチな才能を持っています。
2013年世界の強豪国ウェールズに、歴史的勝利を収めた時も出場していました。
代表キャップ数も堂々の55。
まさに一時代を築いた名選手と言えます。

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元木 由記雄

元木 由記雄(もとき ゆきお)
1971年8月27日生まれ
大阪府出身
明治大学
代表キャップ数:79
2010年 引退

明治大学の黄金時代の中心人物。
3度の大学選手権優勝に大きく貢献し、4年の時には主将も務めました。
その後神戸製鋼へ入団。
日本代表入りはなんと19歳(大学2年生)という早さ。
19歳8か月で試合に出場すると、1991、1995、1999、2003年ラグビーワールドカップを経験。
日本代表のキャプテンも務め、長きに渡り日本ラグビーを引っ張っていきました。
代表キャップ数も当時最高の79。(現在歴代3位)
「鉄人」の異名を持つほどにパワフルで、全治6か月の骨折を、わずか1か月で試合復帰をするなど多くの話題を提供してきました。
2019年のワールドカップ日本大会ではアンバサダーを務めるなど、現日本ラグビーにも欠かせない存在であり、いつか日本代表の監督を期待しているファンも少なくありません。

森 重隆

森 重隆(もり しげたか)
1951年11月6日生まれ
福岡県出身
明治大学
代表キャップ数:27
1981年 引退

県立福岡高校から明治大学に進学。
1年生からレギュラーとなり活躍しました。
卒業後は、当時社会人最強のチーム新日鉄釜石に加入。
主将となり、当時には珍しく選手兼監督も務めました。
驚くべきことは、選手権監督して4度の日本選手権優勝に導いたことです。
日本代表でも主将を務め、絶大な信頼を寄せていました。
俊足を生かした突破力でトライを量産する姿は、日本ラグビーファンを熱くさせました。
引退後もラグビー界に貢献し、2019年にはついに日本ラグビーフットボール協会の会長の座に就きました。
選手としても貢献度として、歴史に刻まれるべき選手の一人です。

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いかがでしたか??
5人全員がその時代のスター選手として、日本ラグビーを盛り上げてくれていました。
今後この5人を超える日本最高のセンターが現れるか!?
とても楽しみですね。

これからも各ポジションの名選手を紹介していきますので、是非そちらも見てください!
これからもラグビーを観戦して、応援し続けていきましょう!!

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